高橋尚子の引退について
Qちゃんの愛称で親しまれ、国民栄誉賞も受賞したシドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子が現役を引退することとなった。
女子のアスリートとしてはやはり年齢的な問題があったのかもしれない。
高橋は98年のバンコクのアジア大会で当時としては驚異的な記録で金メダルを獲得した。
その後は怪我のために世界陸上を欠場したが、シドニーオリンピックの選考レースである名古屋女子国際マラソンで当時のコースレコードで優勝、見事にシドニーの切符を手にし、そして本番でも金メダルを獲得した。
翌年はベルリンで当時の世界最高記録を樹立し、翌年もベルリンを制した。
アスリートとしては絶頂期であったがこのころであろう。
もちろん力からいえば当然アテネでもと思われていた。
しかし、選考レースとなった東京国際女子マラソンで序盤は圧倒的な展開を見せたが、その後失速し2位に終わった。
これは高橋の衰えではなく調整が失敗したからであろう。
このまま選考を待つか、もう一度選考レースとして名古屋をはしるかの選択に迫られてたが、結局は名古屋を回避した。
結果的に名古屋を回避したことでアテネの選考にもれてしまった。
このことがきっかけであったかどうかは定かではないが、後に小出監督のもとを離れチームQを立ち上げることとなった。
しかし、ここからが高橋の苦悩が続くことになるのである。
小出監督についていけばよかったころと違い、すべてにおいて自分で何事も行わなければならなくなった。
もちろんスタッフはいるが、チームの代表は彼女なのだから。
年齢からくる体力の衰えはどうしようもない。
しかし、チームQの代表としてスタッフを抱えている以上、責任を持たなければいけない。
チームQの立ち上げは、マラソン選手としては失敗に終わったかもしれない。
しかし、彼女の人生にとってはとても大きな経験になったのではないだろうか。
本来ならばもっと早くに引退していたのかも知れないが、チームQのスタッフの今後や契約するスポンサーとの関係もあり、そう簡単には引退できなかったのではないだろうか。
苦しいことやつらいことなどは山のようにあったであろうに、チームの代表としてはスタッフに弱音をはくわけにはいかない。
チームの食事担当者が辞めたときは、こんな少ない人数もまとめることができないのか、と自分を責めたそうだ。
最終的にはプロとして勝負できるレースができなくなったとして引退を決意したのだが、それでもチームのことを考えると最後まで迷ったと思う。
個人的には、彼女のぼろぼろになった姿は見たくなかったし、もっと早く引退してもらいたかった。
それでも彼女が日本の陸上界にのこした功績は大きいものがある。
今後については未定ではあるが、すでに多くのテレビ出演のオファーが届いていると聞く。
彼女の第2の人生を応援したい。
女子のアスリートとしてはやはり年齢的な問題があったのかもしれない。
高橋は98年のバンコクのアジア大会で当時としては驚異的な記録で金メダルを獲得した。
その後は怪我のために世界陸上を欠場したが、シドニーオリンピックの選考レースである名古屋女子国際マラソンで当時のコースレコードで優勝、見事にシドニーの切符を手にし、そして本番でも金メダルを獲得した。
翌年はベルリンで当時の世界最高記録を樹立し、翌年もベルリンを制した。
アスリートとしては絶頂期であったがこのころであろう。
もちろん力からいえば当然アテネでもと思われていた。
しかし、選考レースとなった東京国際女子マラソンで序盤は圧倒的な展開を見せたが、その後失速し2位に終わった。
これは高橋の衰えではなく調整が失敗したからであろう。
このまま選考を待つか、もう一度選考レースとして名古屋をはしるかの選択に迫られてたが、結局は名古屋を回避した。
結果的に名古屋を回避したことでアテネの選考にもれてしまった。
このことがきっかけであったかどうかは定かではないが、後に小出監督のもとを離れチームQを立ち上げることとなった。
しかし、ここからが高橋の苦悩が続くことになるのである。
小出監督についていけばよかったころと違い、すべてにおいて自分で何事も行わなければならなくなった。
もちろんスタッフはいるが、チームの代表は彼女なのだから。
年齢からくる体力の衰えはどうしようもない。
しかし、チームQの代表としてスタッフを抱えている以上、責任を持たなければいけない。
チームQの立ち上げは、マラソン選手としては失敗に終わったかもしれない。
しかし、彼女の人生にとってはとても大きな経験になったのではないだろうか。
本来ならばもっと早くに引退していたのかも知れないが、チームQのスタッフの今後や契約するスポンサーとの関係もあり、そう簡単には引退できなかったのではないだろうか。
苦しいことやつらいことなどは山のようにあったであろうに、チームの代表としてはスタッフに弱音をはくわけにはいかない。
チームの食事担当者が辞めたときは、こんな少ない人数もまとめることができないのか、と自分を責めたそうだ。
最終的にはプロとして勝負できるレースができなくなったとして引退を決意したのだが、それでもチームのことを考えると最後まで迷ったと思う。
個人的には、彼女のぼろぼろになった姿は見たくなかったし、もっと早く引退してもらいたかった。
それでも彼女が日本の陸上界にのこした功績は大きいものがある。
今後については未定ではあるが、すでに多くのテレビ出演のオファーが届いていると聞く。
彼女の第2の人生を応援したい。
